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- 21/06/07 21:47:38
https://news.yahoo.co.jp/articles/5360c07bb55a0ca6fe7382e5fef6183a83abebc8/comments?page=2&t=t&order=recommended
「『困っている人を助けたい』。初めてそう思ったのがあの事件だった」。2001年6月に児童8人が死亡するなどした大阪教育大付属池田小(大阪府池田市)の乱入殺傷事件の現場で、当時2年生だった大阪市立大医学部付属病院の研修医、中原康輔さん(28)は同級生が襲われる姿を目の当たりにした。8日で事件から20年になる。自分に何ができるかを考え続けた末に決めた医師への道。「未来ある命を救いたい」と語る中原さんは今、小児科医を目指している。【三角真理】
【年表】小学生が被害に遭った事件と国の施策
事件のことは、今もはっきりと覚えている――。
国語の授業が終わろうとしていた時だった。突然、校内放送が流れた。「男が侵入してきた。包丁を持っているので気をつけろ」という内容だったが、言葉が早口でよく聞き取れなかった。放送が終わった直後、教室の前のドアが開き、ドアのそばにいた女の子が、男に包丁で刺された。クラスの子たちは一斉に後ろのドアから逃げた。
「何が起こったのか全然分からなかった」。運動場に逃げ出したが、「(刺された)あの子は大丈夫か」と心配になり、引き返した。途中で女の子は先生に介抱されていた。「しんどそうな女の子を見て、これは大変なことが起きたと感じた」。事件の概要を知ったのは家に帰ってニュースを見てから。その時に初めて「怖い」と思った。女の子はその後に回復した。
「衝撃的なことだったし……。人のことを本気で心配したのは、多分あの日が初めて。それで忘れられないのだと思う」。包丁を振り上げた男への恐怖よりも、女の子のことを心配した気持ちの方がずっと大きかった。
中学は兵庫県の学校に通ったこともあり、事件を思い出すことはほとんどなかったが、高校2年になって自分の将来について思いを巡らせた時、再び事件のことを考えるようになった。一番したいことは何か。自分にできることは何か。たどり着いたのは「困っている人を助けること」だった。それが自分の性分であり、「最初に自覚したのが、あの事件だった」と気付いた。
その頃から、身近にある危険に目が行くようになった。道で走り出した子どもが車道に飛び出さないか注意を払ったり、ハサミが不安定なところにあると置き直したりするように。「その後に起こるかもしれない事態を考えるようになった。あの事件が頭にあるからだと思う」。守られる立場から守る立場の年齢になり、「子どもって生命力にあふれているけれど、ちょっとしたことで命を落としてしまう。守ってあげないといけない存在」と考えるようになった。
「事件以来、どの学校にも防犯設備が整い、登下校の見守りもしっかりやるようになったと思う。もうあのような事件は起こらない、と信じたい。それよりも……」。厳しい表情になってこう続けた。
「20年前はなかったネット環境の方が心配だ。子どもがネットで自分のことをしゃべって簡単に動画を流せる。そこへコロナです。家にこもることが多くなり、人と会わなくなり、ますますネットに頼る。子どもを取り巻く危険は、別のステージに変わっている気がする」
事件から20年。「こうして年に1度、事件を思い出してもらえることはありがたい。子どもを守ってあげないと、という意識が広がると思うので。でも、今でも事件を思い出したくない、話したくないという人もいる。そういう人がいることも知ってほしい」
現在、研修医2年目。白衣の胸ポケットには「ドラえもん」のボールペンをのぞかせ、首には「鬼滅(きめつ)の刃(やいば)」のストラップをかける。「子どもの気持ちを紛らせられればと、思いつくことは何でもする」と言う優しいお兄さん。新型コロナウイルスの感染者や救急で運び込まれる負傷者の治療などに日々当たっている。
「現場では『助けたい』という思いだけでも、医学の知識だけでも足りない」と厳しさも見せるが、「子どもにも、親たちにも愛される医師」を目指している。
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