- ニュース全般
- 上杉謙信
- 20/12/09 00:18:52
家族が新型コロナウイルスに感染したら、小さな子を持つ親はどうすればいいのか。遊びに出られない子どもたちの心と体の健康を保つために、どんな工夫ができるのか。今年4月に夫で俳優の石田純一さん(66)が陽性判定を受け、8歳、4歳、2歳の子ども3人と、社会から隔てられた生活を経験したプロゴルファーの東尾理子さん(45)に話を聞いた。
【写真】東尾修さんと遊ぶ次女。修さんはよく自宅に遊びに来ていたが、隔離生活中は会えなかった。「じいじも心配で、寂しかったと思います」と理子さん(東尾理子さん提供)
――母子4人で、2週間以上、一歩も外に出ない生活を送った。
「夫が感染し、家族全員がかかっても仕方ないと思いました。『濃厚接触者ではないから自粛生活でいい』とされましたが、家からは出ないことにしました」
「周囲の助けがなければ生きられませんでした。近所のママ友たちが、玄関前に野菜やパンやお菓子を置いて行ってくれたり、旧友がお肉を送ってくれたり。地域を担当している宅配便の方が、『近くにいるから、困ったらいつでも電話して。コンビニくらいだったら買い物に行くからね』と携帯電話の番号を書き置いてくれたこともありました」
「救援物資は外に置いてもらって、届けてくれた人が帰るのを確認してから受け取っていました。玄関は半分ガラスになっているので、食料を置いて、手を振ってくれている姿が見えるんです。近くにいて、顔も見られるのに、会えない。社会から隔てられている、拒絶されているような気持ちでした」
――子どもにとって、外に一切出られない生活は簡単ではなかった。
「長男の友達と、そのお母さんがスーパーの帰りに寄ってくれた日、長男に『どうして僕は外に出られないの』と聞かれました。涙が出るほど切なくなりました」
――沖縄から帰京した石田さんが、PCR検査で陽性と判定されたのは、緊急事態宣言発令から1週間後の4月15日だった。
「『あと1日休めば治る。まだ病院に行きたくない』と言う夫を、無理やり病院に連れて行きました。保健所の『帰国者・接触者相談センター』には2時間くらいかけ続けて電話がつながりましたが、まずPCR検査を受けるためには自分で病院を探すように言われました。また電話をかけまくってようやく病院を見つけました」
「その間、子どもたちは別の部屋にいてもらいました。夫を車に乗せる時にはベランダに出して、一切接触させないようにしました。車では窓を開けて、マスクをつけて、病院の待合室でも夫とは離れて座っていました。とは言え、『私も感染したかもしれない。子どもにうつしてしまうのでは』と不安で、神経を使いました」
――野球好きな長男と、ダンス好きな長女。外で遊べない間、活発な子どもたちはどう過ごしたのか。
「長男が仕切って、工夫して3人で遊んでいました。輪投げをするにしても『2歳はここから、4歳はちょっと後ろ、僕は一番後ろね』と。もともと仲の良いきょうだいですが、ますます仲良しになりました。きょうだいの絆が深まったと感じました」
「外に出たのは、5月になってから。公園には行きづらかったので、みんなで目的地を決めて学校までランニングをしたり、自転車をこいだりしました。普段はバスと電車で通学していて、歩いて1時間ほどの道のりです。その途中で、公衆電話や交番の場所や、使えるトイレがある場所も確認しました。何かあった時に、1人で帰って来られるように、です。飽きないように、タイムも計りました。『昨日は何分だったけど、今日は何分だったね』というと、やる気を出してくれました」
https://news.yahoo.co.jp/articles/fd70883d3b8e988a2ba21f41b7cca09f9a87dbd6
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