- なんでも
- 大谷吉継
- 20/12/08 15:45:09
父親が取材に答えてたよ。
実父・Aさんの知人は、本誌の取材にこう語る。
「少なくとも私の印象では、Aさんにはお金に困っている様子もありませんでしたし、父子関係がギクシャクしていた様子もなかったと思います。Aさんは3年ほど前に心臓を悪くしてペースメーカーを入れる手術を受けたのです。春馬さんが入院中にお見舞いにきてくれて、親子の交流が復活したと言っていました。
息子さんの活躍ぶりがうれしかったのでしょうね。Aさんは仲間内で、よくうれしそうに話していました。『せがれが東京で舞台に出ているので見に行ってきた』とか、『春馬とメシを食べにいった』とか」
それだけに三浦さんが亡くなった後のAさんの憔悴ぶりには、見ていていたたまれなかったという。
「生きがいを失ってしまったという感じでしょうか。もともと大病をしたのに、あまり健康には気を使わないタイプだったのですが、さらにその傾向に拍車がかかっているようです。
春馬さんのお母さんとの遺産相続の話し合いについてポツリと漏らしていたこともありました。『弁護士さんを入れて話し合っているんだけど、いろいろ大変なんだよ』と……。どうやら元奥さんが、お金遣いが少し荒いタイプみたいで、冗談めかして、『彼女はもらってもすぐ使ってしまうかもしれないし。自分はいつまで生きられるかわからないけれど、春馬が生きていた記念になるようなものにして残しておきたい』なんて語っていたことも印象に残っています。
三浦さんには、実父・実母・そして継父と3人の“親”がいる。だが継父の姉は本誌に「(弟は遺産相続に)関係していません」と、語っていた。実父と実母の2人が弁護士を介して話し合いを続けているわけだが、長期化し、いまも同意にいたっていない。
12月上旬、冒頭のように本誌は実父・Aさんのいきつけだという飲食店ビルの前で、取材を申し込んだ。
■「原因追及しても息子はもう戻らない…」
「いまさら私が何を話しても仕方がないでしょう……」
――生前の春馬さんとお父さんの関係も悪化していたという報道もあります。私たちはそうではなかったと伺っているのですが?
「……春馬との関係はよかったと思っています。“20年ぶりに再会した”と、報じられていますが、彼が芸能界デビューした後は、ときどき連絡はもらっていました。春馬の活躍ぶりはずっと楽しみでしたし、私の生きがいでもありました。実際に会うようになったのは2~3年前ですね。私が入院したときにお見舞いに来てくれて……。
手術がうまくいって元気になった後には、いっしょに食事をしたり、酒も飲んだりするようになりました。春馬もけっこう酒量は多かったですが、そんなに酔っ払うタイプではないし、飲んだ後は、きちんと電車で東京に帰っていきましたよ。
ふだんはLINEとかで連絡を取り合っていて、実は亡くなる2週間前にもメッセージをやりとりしていました。近いうちにこちら(茨城県)に来るから、と言っていたのに……。それが最後のやりとりになってしまいました」
故郷・茨城での“父子酒”の約束は果たされなかったのだ。
――春馬さんの様子に変わったところはなかったのでしょうか?
「それはねえ、皆さんと同じで、なんであんなことになってしまったのか、全くわからないんです。会っていたのだから、もし何か気が付いていたら、もちろん力になっていたでしょうが、そんな兆候はいっさいなくて……。本当に突然のことで呆然としてしまって、気が抜けてしまったままで、いまになってしまったという感じです。それに原因を追究したとしても、もう息子は戻りません……」
――遺骨は春馬さんのお母さまがお持ちなのですか?
「そうですね。お墓とか偲ぶ会とかについては、(春馬の)所属事務所さんにも相談に乗ってもらっているようです。遺産相続の話し合いが長引いている? でも私自身は息子の遺産はまったくあてにしていません」
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蒲生氏郷