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19/05/23 06:49:09
■皇位継承の重責から距離を保ち、自由な環境で育てられた弟宮 秋篠宮さまは御代替わりに伴い、「皇嗣」となられる。皇嗣は、皇位継承順位第一位の立場である。現在の皇室典範に「皇太弟」の規定がないために定められた呼称であり、事実上の皇太子を意味する。 「私は幼少のころから昭和天皇のところに今の両陛下とご一緒に上がる機会が多くあり、今の陛下が皇太子としていろいろなことをやっておられるということを強く感じました」 皇太子さまは2007年の誕生日会見でこう述べられ、幼少期から帝王学を身近で学んでいた事実を自ら振り返っている。一方、「礼宮」の称号が与えられた秋篠宮さまは、皇位継承の重責とは一定の距離を保った自由な環境で育てられた。 学生時代から髭を蓄え、外車を操り、祖父の昭和天皇が崩御した年に、英オックスフォード大大学院在学中であるにもかかわらず婚約を決めたことで、伝統を重んじる皇室関係者の一部からは「兄を差し置いて先に結婚するとは」と批判的な声が上がったとされる。1996年4月17日に、クリントン米大統領の来日を歓迎して行われた宮中晩餐会に際しては、趣味のナマズ研究を優先して国賓の歓迎晩餐会を欠席し、タイを訪問したことで非難されたこともあった。 ■「秋篠宮さまは何も変わられていない」との人物評 その秋篠宮さまへの世評を転じさせる契機となったのが、兄の皇太子さまの、いわゆる「人格否定発言」である。これは改めて説明するまでもないが、皇太子さまが2004年5月、デンマーク、ポルトガル、スペインの欧州3カ国歴訪を前にした記者会見で、病気で静養中だった皇太子妃雅子さまについて「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実」と言及した発言のことだ。 発言を受けて、秋篠宮さまはこの年の誕生日会見で兄にこう苦言を呈した。 「記者会見という場所において発言する前に、せめて陛下とその内容について話をして、その上での話であるべきではなかったか」 これ以降、秋篠宮さまは公務の定義や天皇の定年制、天皇陵の在り方、天皇・皇后の火葬の是非など様々な皇室の諸問題について発言されていく。雅子さまを庇うことによってどんどんと孤立していく皇太子さまを“反面教師”として、天皇陛下の代弁者のような立場を確立されたようにも見える。 御代替わりを機に皇后となるにあたって、最近は徐々に公務に復帰している雅子さまだが、雅子さまの公務がなかなかままならぬ中、批判の矛先は皇太子さまに向けられ、それと反比例するように秋篠宮さまの存在感は増してゆき、2009年1月に皇室に詳しい評論家・保阪正康氏の論文「秋篠宮が天皇になる日」(「文藝春秋」2月号)が発表されるに至る。 だが、宮内庁内部には「秋篠宮さまは何も変わられていない」との人物評がくすぶる。ある宮内庁関係者はこう話す。 「将来の天皇である悠仁さまのご誕生以降、以前と比べるとお立場を考えられた言動が増えたように思います。でも、現在も思いつきでついつい迂闊な発言をしてしまわれるように、本質は何も変わっていないのではないでしょうか」 >>2 次のページ 『皇族は政治的なことの発言をしない。これは基本』
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ママスタコミュニティはみんなで利用する共有の掲示板型コミュニティです。みんなが気持ちよく利用できる場にするためにご利用前には利用ルール・禁止事項をご確認いただき、投稿時には以下内容をもう一度ご確認ください。
上記すべてをご確認いただいた上で投稿してください。
No.1 主 応和
19/05/23 06:49:09
■皇位継承の重責から距離を保ち、自由な環境で育てられた弟宮
秋篠宮さまは御代替わりに伴い、「皇嗣」となられる。皇嗣は、皇位継承順位第一位の立場である。現在の皇室典範に「皇太弟」の規定がないために定められた呼称であり、事実上の皇太子を意味する。
「私は幼少のころから昭和天皇のところに今の両陛下とご一緒に上がる機会が多くあり、今の陛下が皇太子としていろいろなことをやっておられるということを強く感じました」
皇太子さまは2007年の誕生日会見でこう述べられ、幼少期から帝王学を身近で学んでいた事実を自ら振り返っている。一方、「礼宮」の称号が与えられた秋篠宮さまは、皇位継承の重責とは一定の距離を保った自由な環境で育てられた。
学生時代から髭を蓄え、外車を操り、祖父の昭和天皇が崩御した年に、英オックスフォード大大学院在学中であるにもかかわらず婚約を決めたことで、伝統を重んじる皇室関係者の一部からは「兄を差し置いて先に結婚するとは」と批判的な声が上がったとされる。1996年4月17日に、クリントン米大統領の来日を歓迎して行われた宮中晩餐会に際しては、趣味のナマズ研究を優先して国賓の歓迎晩餐会を欠席し、タイを訪問したことで非難されたこともあった。
■「秋篠宮さまは何も変わられていない」との人物評
その秋篠宮さまへの世評を転じさせる契機となったのが、兄の皇太子さまの、いわゆる「人格否定発言」である。これは改めて説明するまでもないが、皇太子さまが2004年5月、デンマーク、ポルトガル、スペインの欧州3カ国歴訪を前にした記者会見で、病気で静養中だった皇太子妃雅子さまについて「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実」と言及した発言のことだ。
発言を受けて、秋篠宮さまはこの年の誕生日会見で兄にこう苦言を呈した。
「記者会見という場所において発言する前に、せめて陛下とその内容について話をして、その上での話であるべきではなかったか」
これ以降、秋篠宮さまは公務の定義や天皇の定年制、天皇陵の在り方、天皇・皇后の火葬の是非など様々な皇室の諸問題について発言されていく。雅子さまを庇うことによってどんどんと孤立していく皇太子さまを“反面教師”として、天皇陛下の代弁者のような立場を確立されたようにも見える。
御代替わりを機に皇后となるにあたって、最近は徐々に公務に復帰している雅子さまだが、雅子さまの公務がなかなかままならぬ中、批判の矛先は皇太子さまに向けられ、それと反比例するように秋篠宮さまの存在感は増してゆき、2009年1月に皇室に詳しい評論家・保阪正康氏の論文「秋篠宮が天皇になる日」(「文藝春秋」2月号)が発表されるに至る。
だが、宮内庁内部には「秋篠宮さまは何も変わられていない」との人物評がくすぶる。ある宮内庁関係者はこう話す。
「将来の天皇である悠仁さまのご誕生以降、以前と比べるとお立場を考えられた言動が増えたように思います。でも、現在も思いつきでついつい迂闊な発言をしてしまわれるように、本質は何も変わっていないのではないでしょうか」
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