- なんでも
- 涙涙
- KDDI-SN32
- 05/10/28 04:31:20
愛児へ
大尉 神風特攻隊大和隊
昭和一九年一○月二六日出撃戦死
二五歳
植村眞久
素子、素子は私の顔をよく見て笑ひましたよ。
私の腕の中で眠りもしたし、またお風呂に入ったこともありました。
素子が大きくなつて私のことを知りたい時は、お前のお母さん、佳代伯母様に私の事をよくお聴きなさい。
私の写真帳もお前の為に家に残してあります。素子といふ名前は私がつけたのです。
素直な、心の優しい、思いやりの深い人になるやうにと思つて、お父様が考へたのです。
私はお前が大きくなつて、立派な花嫁さんになつて、仕合わせになつたのを見届けたいのですが、若しお前が私を見知らぬまま死んでしまつても、決して悲しんではなりません。
お前が大きくなつて、父に会ひたい時は九段へいらつしやい。
そして心に深く念ずれば、必ずお父様のお顔がお前の心の中に浮かびますよ。
父はお前は幸福ものと思ひます。生まれながらにして父に生きうつしだし、他の人々も素子ちゃんを見ると眞久さんに会つてゐる様な気がするとよく申されてゐた。
またお前の伯父様、伯母様は、お前を唯一の希望にしてお前を可愛がって下さるし、お母さんも亦、御自分の全生涯をかけて只々素子の幸福のみ念じて生き抜いて下さるのです。
必ず私に万一のことがあつても親なし児などと思つてはなりません。
父は常に素子の身辺を護つて居ます。優しくて人に可愛がられる人になつて下さい。
お前が大きくなつて私の事を考へ始めた時に、この便りを読んで貰ひなさい。
昭和十九年○月吉日
植村 素子へ
追伸、素子が生まれた時におもちゃにしてゐた人形は、お父さんが頂いて自分の飛行機にお守りにして居ます。
だから素子はお父さんと一緒にゐたわけです。素子が知らずにゐると困りますがら教えて上げます。
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