- なんでも
- チキン南蛮
- 17/05/23 17:58:20
以下コピペ
(1)人間は、「いじめる側」と「いじめられる側」に分かれる。
⇒いじめに遭った私のような人間に多いのではないかと思うが、
「いじめる奴」と「いじめられる奴」に人間は二極化している、と思い込んでいるのだ。
自分が常に一方に追いやられてきたから。
対人スキルをなんとかして上げたい、と思っている奴は
「いじめられる側」から、「いじめる側」に回りたい、と思い込んでいないか。
だが、多くの社会人は、それぞれの個性を容認し、欠点のある奴でも
そいつといかにうまくやっていくかを重視している。無論、環境にもよるだろうが。
いじめられる側に回りたくないから、いじめる側に回ってやる、という考えは間違っているのだ。
人間はその二種類ではない。
(2)変わるのは、恥ずかしいことである。
⇒今まで喋らなかったのに、突然周囲の人に話しかけるようになったら
笑われるのではないか、気持ち悪がられるのではないか…と
ぐじぐじ思い悩んでいないだろうか。
もちろん最初は驚かれるだろうが、ポジティブな方向へ変わるのであれば
大抵、「頑張ってるな」と暖かい目で見られる。
その暖かい目が見下されてるようで嫌だ? それは、(1)の考え方をしているからだ。
別に、上から「頑張ってるな」と見られようが、それは自分が敗者であることを表しはしない。
(3)他人に、自分の考えはわからない。
⇒自分の態度、目つき、言い回し……それらから、自分の性格や、考えていることは、
大抵、予想されている。分析されている。
私のような対人スキルの低い人間と違い、多くの人と接してきた人たちは
人の行動パターンから、ある程度性格を読み取ることができる。
何を考えているか予想することができる。
だから、他人にはどうせわからないと思って、
自分を隠し通そう、カッコつけようと思っても意味がない。
人々は冷酷なまでに、自分のことを見抜いているのだ。
続く
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