アンチアンチアンチってばっかりですが

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    • 真如苑
      18/01/26 01:33:53

    真如苑は昭和11年(1936年)、開祖の伊藤 真乗(しんじょう 1906-1989)が、妻・伊藤 友司(ともじ 1912-1967)とともに東京都立川市に燈檠山・真澄寺(とうけいざん しんちょうじ)を建立したところから始まる出家を基盤とした在家の仏教教団です。現在、17カ国に130カ所あまりの寺院があり、世界でおよそ100万人(国内およそ90万人)の信徒が活動しています。

    真如苑のはじまりは?

    開祖は、仏教の教えを正しく修めるため、昭和11年に京都の真言宗醍醐派総本山・醍醐寺に出家得度します。そして出家者としての修行を重ね、醍醐寺に伝わる2つの伝統法流を修めて大阿闍梨となりました。しかし僧侶だけでなく、誰もが仏教の教えを正しく修行できる道を模索した開祖は、戦後の宗教法人法の改正を機に独立。その後も修行研鑽を重ねて「大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)」の中に在家修行者のあるべき道を見いだし、伝統を基盤にしながらも、出家在家に関係なく誰もが修行できる信仰のあり方を体系づけました。それが、出家を基盤とした在家の仏教教団・真如苑の出発です。その出発には、今を生きる一人ひとりが仏様の教えを学びながら、それぞれの生き方の中に幸せを見いだしていけるようにとの願いがありました。真如苑は、立教から受け継がれたこの精神を、今も変わらず大切にしています。


    どんな教え?

    釈尊は「人生は苦に満ちている」と人の世の現実を諭しましたが、一方で「身は苦しみの集まるところ。いかにこれを楽しみとせむ――大般涅槃経・純陀品(じゅんだぼん)」と、思い通りにならない現実の中にこそ、最上の楽を得ていく生き方を示しました。それは、避けがたい現実をありのままに受けとめていく心を持ち、常に善き言葉と行いを示し続けながら、幸せや喜びを見いだしていく道。その幸せを分かち合っていく道です。開祖はその実践のあり方を示し、だからこそ修行の基盤は日常の生活にあると説きました。
    大般涅槃経には、誰にも仏の慈悲の心に通じる“仏性(ぶっしょう)”があると説かれています。仏性は言い換えれば、誰もが持っている人を慈しむ心や、やさしい心と言えるでしょう。なかなかできることではありませんが、どのような場面にあっても、その善き心を言葉と行いに示し続けていく大乗利他行(だいじょうりたぎょう)によって、自らの仏性は磨かれていくと考えています。
    日常生活、特に社会生活の基盤となる家庭や地域、学校や会社こそ自らを磨く修行の場として、身近な方々とのご縁や関係を大切にすること。その身近なコミュニティの和を重んじ、融和と奉仕の精神を身に表し続ける努力をしていくことが修行と考えています。

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