- なんでも
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後は、携帯を変えることや女を乗せた車を売ること、そのほか自分から給料が入る通帳を私に預け、飲み屋は付き合いでも断ると言いました。
私は戸惑いました。
信用はないし、受け入れる余裕もなかったのです。
少し実家で休み、迎えに来て、一緒に生活をして自分が変わる姿を見ていて欲しいと言われました。
私は悩みました。
信じていいものか。義母も心配して何度か実家に来て、戻ってきて欲しい。お母さんには大事な娘だから。もしうちのばか息子が同じ事を繰り返すようなら、貴方を守って息子とは絶縁して追い出す。とまで言ってくれました。
私は最後のチャンスと思って一緒に暮らしました。
東京の女とは会い、色々話し合い、示談書を書いてもらいました。
なんで私が?みたいな態度で旦那を責めていました。
こんな二人のことで悩んでいたなんてばかだと思いました。
旦那は約束した事を守っていました。
私はそんな旦那を見て素直に喜べず、都合がいい、とだんだん感情が抑えきれなくなり、暴言、暴力を振るっていました。言わないで我慢していた自分にも負い目があり、それを埋めるかのように自分が壊れていきました。旦那は変わりましたが、私が生きるということを拒否してしまいました。
家事は出来ない、旦那には八つ当たり、子が泣けば自分もないて一緒にしんでしまおうとばかり思いました。心が病んでしまいました。
旦那は自分が悪いから俺にはなんでもしていいけど、母親としていて欲しいと毎日泣いてました。
今更なに?あんたがいるからよ。汚い手で子を触るな。それが嫌なら私をころして…と毎日訳のわからない事をいい、泣き叫んでました。
旦那は仕事も間々ならず、睡眠も取れなくなっていました。それが続き、旦那が病院を調べ、私を連れて行きました。
そこからは通院することになり、心の中でとめられない私を助けて欲しいと先生に話しました。
そこからは薬を飲み、旦那に対してイライラをぶつけることはありましたが、日常の生活に戻り、先日状態がいい私に薬を飲まなくても大丈夫という支持が出て、今に至ります。
本当に子供には申し訳ない思いでいっぱいです。
心に余裕がないことで一つの家族を壊しているところでした。旦那とは色々あり、乗り越えられて今こうして幸せを感じられることでよかったなと感じています。夫婦として成長できたのかなと思ってます。
今はまったく不安がなくて、子供にとってもいいパパで去年のことが夢だったのかと思います。でも私たちの中では一生忘れてはいけないことで、口には出さなくてもお互いの胸にはもう二度とあってはならない事だと刻んであります。
色々落ち着いたところで私たちの結婚式をそろそろあげようかというはなしになりました。
また新たな気持ちで頑張りたいと思います。
子もそろそろ11ヶ月になり、タッチが出来るようになり、成長が楽しみです。色々パパとママのことで負担を与えてしまって心配でしたがとても愛嬌のいい子にすくすく育ってくれました。とても子供には感謝しています。
これからは家族三人で温かい家庭を築いていきます。
皆さん、本当にありがとうございました。
皆さんにたくさんの幸せがきますように心から思います。- 0
06/08/08 13:45:14