• No.69 咲良うた

    25/05/18 15:34:59

    ☆のぶのモデル・小松暢の結婚歴と職歴
    やなせたかしと出会う前に
    昭和14年。東京で日本郵船勤務の6歳年上の小松総一郎と結婚してました
    「小松」はこの時の姓ですよ
    総一郎との間に子供はいなかったようだね
    総一郎が復員してから病死しました。これは次郎と似せた経緯にしてますね
    暢は総一郎の死後、父の故郷だった縁で高知新聞社に入社。
    高知新聞社初の女性記者(もう一人同期で女性記者がいた)
    在籍期間は1年も満たなかったそうです。
    暢さんは速記が得意だったそうです。のぶはその点も取り入れたのね。
    当時暢さんはドイツ製ライカの一眼レフカメラを使用していたそうです。
    おそらく のぶは次郎の遺品のカメラを新聞社で使うかも?
    (ちなみに暢さんが使っていたライカの一眼レフカメラが総一郎からのプレゼントらしいよ)
    高知新聞社を退社して東京に来た暢さんは社会党の代議士の秘書になったそうだよ

    ☆柳井千尋のモデルは、やなせたかしの弟・柳瀬千尋
    子供のころの経緯はドラマの千尋とほぼ同じ
    高知高等学校から京都帝国大学法学部に進学
    養父・柳瀬寛さんは医学生として京都府立医学専門学校(現在の京都府立医科大学)に通い、養母の柳瀬キミさんが京都出身。夫婦は京都の地で出会い、結婚したので千尋は養父母の縁のある京都である京大を選んだのかも?
    1944年3月に卒業予定が6カ月短縮して1943年9月で卒業
    卒業後は海軍予備学生になりその後海軍少尉になり駆逐艦「呉竹」に乗り命の保証の無い特別任務に就いてしまう
    小倉の部隊にいた兄・嵩に最後の挨拶に来たのはドラマと同じ
    任務のため戦地に向かうとフィリピン沖バシー海峡で攻撃受けて呉竹もろとも沈没して22歳で戦死。その際に中尉に昇進。

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