- なんでも
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>>24否定されることが多かったと思う。
あまり笑いがなくて暗い家庭だった。
楽しかったのは本当に幼い頃だけだったように思うよ。
思い返せば自分の母親も、学校行事や周りの母親との関係を築くのが苦手だったんだろうなと思うことがたくさんあるよ。
子ども心に、他の母親はみんな社交的で明るく見えて、行事を楽しんでるように見えたけど、うちの母親は帰宅後に疲れた疲れたぼやいていたし。
保護者同伴の合宿とか、行きたくないとか言いながらプリント見てたり。
一泊して次の朝すぐに帰ったり。
用事があると言い訳して。本当は何もないのに、父親に迎えに来てもらってさっさと帰った。
私は予定通り昼までいたんだけど。
あと数時間くらい我慢したらいいのにって思った記憶がある。
大人になっていろいろとわかったことがあって、当時の母親の気持ちもわかるけどさ…
やっぱり私はこの人の子どもなんだと痛感したりする。
それは母親同士の世界に限らず、社会や近所でも。
全てを母親のせいにはできないし、自己責任の方が大きいんだけど、やっぱり血は濃いんだなと。
努力で何とでもなるところもあるけど、もう根本から違うと感じてる。
明るく振る舞うのに努力が必要な時点で。
頑張らなきゃ保てない明るさって続かない。
ごめん、話それたね。
けど微妙な繋がりはあると思ってる。
自分は本当に欠陥人間、失敗作だなと。
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17/10/12 17:50:38