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会社を辞めて旅に出た夫と離婚、でも「娘から父親を奪う権利はない」と葛藤するが……

サイゾーウーマン
配信 : サイゾーウーマン (17/11/14 15:00)

『わが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしを送り、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?

第10回 星野由貴さん(仮名・50歳)(前編)

「事実婚を含めて3人の男性と同居したんですが、3人が3人とも私のことをまともにかまってくれなかったし、家事も育児もやってくれなかった。男を見る目が、私にはなかったんですね(苦笑)。普通にサラリーマンで、家事も育児も手伝ってくれる旦那さんの話を聞くと、『そんな人が世の中にいるんだ……』って、うらやましく思ってます」

 そう話すのは、3人の子を1人で育てている、星野由貴さんである。バックパッカーだったという彼女は、これまでにどんな半生を歩んできたのだろうか?

■辺境を歩いて回る夫についていけず

「高校の後、美術系の学校を出てからは、飲食店でバイトして、アジアとかヨーロッパ、中近東に出掛けるという生活を繰り返していました。同じ趣味を持っている同世代の旅仲間と集まって飲み食いしたりして、わいわいと、よくつるんでいたんです。結婚したのは、そのうちの1人でした」

 最初の夫Aさんは、世界の辺境へしょっちゅう出向く、特殊な職業の人であった。

「Aと結婚したのは、1990年代の前半のこと。そのころ私はまだ20代半ば、彼は30代前半でした。もっと一緒に人生を歩んでいくものと思ってたんですけど、彼があまりに奔放すぎて、ついていけなかった。彼は彼で、私を自由にさせておくのが愛情だって思ってたみたい。私の親族が経営する会社に就職したけど、名ばかり就職。辺境へ出向くのは相変わらずで、置き去り状態。しかも彼は子どもを欲しがらなかった。ぶっちゃけ、方向性が違いすぎてました」

 そんなAさんについていけず、1年ほどで離婚。

「今も近所で暮らしてて、たまに街中で会ったら普通に世間話をする程度かな。自由すぎるぐらいに自由な人だったけど、その後、まさか音楽で身を立てるなんて思ってもみませんでした。元気にやってるみたい」



 星野さんは数年後、サラリーマンである年下のBさんと結婚する。

「自由人ばかりの旅仲間の中で、Bは数少ないサラリーマン。一緒にいて楽だし、何より収入が安定しているというのが魅力でした。ぶっちゃけ嫌いなところはなかったんですが、すごい好きという感じでもなかった」

 Bさんとの結婚生活は、どうだったのか?

「結婚した96年のうちに妊娠、そして翌97年の香港返還の日あたりに長女を産みました。当時、Bはサラリーマンで私は主婦と、役割分担がしっかりあったので、Bに家事や育児を求めてなかった。それは当たり前だと思ってたし、むしろさせちゃダメだと思ってました。やってくれたこともあったけど、お手伝いレベルでしたよ」

 では、Bさんが生活費をまかなっていたということだろうか?

「Bの収入のうち5万円を彼のお小遣いとして手元に置いて、残りは彼の口座に毎月貯蓄していました。私は不動産の収入が月に十数万あって、そちらを月々の生活費に回していたんです。だから生活費は私が全部出してました。不公平じゃないかって? そうやってやりくりして、彼の収入の大半が資産としてたまっていったので、私的にはそれでOKでした。実際、そのお金は一戸建てを買う資金に回してくれましたし」

 家事や育児は星野さん。生活費も星野さん。そこまで許せてるのに、その後離婚。いったいBさんのどこが気に入らなかったのだろうか?

「一緒に暮らしてて、『なんだか冷たいな』って思うようになったんです。実際、遊び友達の方が優しいし、気を使ってくれた。『なのにBは、なぜこんなに私に冷たくて無関心なんだろう?』って。

 その後、安定収入が突然なくなったことに、なにより腹が立ちました。Bはサラリーマンを辞めて、ヨーロッパへ1人で出かけちゃったんです。しかも彼、帰ってきた後、よりによって、私の親族がやってる同業の会社に転職したんです。彼からすれば、旅に出る前から当て込んでたんでしょうけど、決まったときは嫌だったなあ」

 失礼ですけど、離婚するほどではないんじゃないですか?

「ほかにもありますよ。正月にBが『中国に鉄道の写真を撮りに行く』というので、その間、関西にある彼の実家に孫を見せに行ったんです。すると、義母に面と向かって『あんた肥えてる』と言われて、嫌がらせをされました。娘の世話をするために席を外して戻ってきたら、食事を片づけられていたり、私にだけ鍋の肉が入ってなかったり。確かに私、そのとき今よりぽっちゃりしてましたよ。だけど、あんまりじゃないですか。それで、そのことを帰国したBに伝えたら、『気のせいだよ』ってひとこと言われただけで、なんの同情もされなかった。私、それで心が折れました。基本、嫌いなところがない分、そういった何げない発言が、すごく心に響いちゃったんです」



 20世紀が終わるころ、次女が誕生する。その直後、関係は破綻してしまう。

「別れ話を切り出したのは、次女が生まれてからです。ある時、『離婚しましょう』って、ケンカした勢いで言ってしまいました。彼は、私が言いだしたら聞かないタチだってことも知っていたので、反対はしませんでした。『子どもを引き取って実家へ戻る』とは言われましたけど、結局は夫だけが家から出て行きました」

 養育費や面会などの取り決めはしたのだろうか?

「私の都合で別れてもらったという形なので、慰謝料はなし。養育費もなしということにしました。面会の回数とかは特に決めませんでしたが、会わせないという気持ちもなかった。というか、私が娘たちから父親を奪う権利なんかないじゃないですか。だから別れた直後も、かなり頻繁に会わせてました」

 どのぐらいの頻度で会わせていたんですか?

「少なくとも月に数回。Bが2人をあちこちに連れて行ってくれたり、私が映画を見たいときに預かってもらったり。あとは一緒にクリスマス会をやったり、お誕生日会をやったりしてました。正月とかお盆とか、娘2人を関西に連れて行ってくれたので、その間、私は息抜きができました。あれは助かった」

 Bさんと別れてしばらくした後、星野さんは4歳と1歳の娘2人を保育園に預けて、仕事に出るようになった。一方、Bさんはその後どうしているのか? 2人の関係は、どうなったのだろうか?

「彼が毎月、貯蓄に回していた分は、離婚後、まるまる自分の小遣いとして使ってるみたいです。海外旅行に行ったり車を買ったりしてましたから。それを聞くにつけ、『なんだよ自分だけ』って、だんだんムカムカしてきちゃって。別れて2年後ぐらいにお願いして、それ以降、養育費として月5万円ずつもらうようになりました。彼の仕事? 私の親族が経営している会社に、今も真面目に通ってますよ」

 面会時の様子からして、星野さんとの仲は離婚後も比較的良好だということは察したが、まさか今も親族の会社で働いているとは……。

「勢いで別れちゃったけど、別れる必要はなかったなあ」

 星野さんはBさんとの関係を後悔しながら、そう言った。

(後編へ続く)


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