韓国について

  • ニュース全般
    • 5887
    • 牛乳
      16/07/15 22:43:09

    >>5886続き
    ■5.日韓合邦への熱烈な大衆運動

     ロシア勢力を駆逐した後、日本は日韓合邦に進むが、その動機を石平氏はこう解説する。
    __________
     韓国を放っておけば、悪夢のような歴史がまた繰り返されるかもしれない。
    日本にとって、「朝鮮問題」の完全かつ最終的な解決は、韓国そのものの併合以外にはないというのが、当時の帝国主義や植民地主義、弱肉強食の世界秩序の中で、安全保障を手に入れる鉄則だったのである。
     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     しかし、奇妙なことに、朝鮮側でも、日韓合邦を熱望した一派がいた。

    自称100万、実態は20数万人の、当時としては最大規模の民間団体「一進会」である。

    一進会は「外交権を日本政府に委託し、日本の指導保護を受け、朝鮮の独立、安定を維持せよ」という宣言書を発表した。

    さらに会の幹部は、1909(明治42)年2月、桂太郎首相に、両国の「合邦」を提言した。

     日本政府が日韓合邦を進める上で、こういう韓国内の声が大きな後押しとなった。

    日本との合邦を決めた韓国の閣議でも、一人を除く全閣僚が賛成した。

     ある民族がその大衆運動によって、自国の独立を進んで犠牲にしてまで隣国への吸収合併を望むというのは、世界史上の奇観である。

    アメリカの朝鮮史家グレゴリー・ヘンダーソンは、一進会の動きを評し、

    「事実それは、政治史上、自分の民族に対して行われた反民族主義的大衆運動として、今までになかった唯一の例である」

    と述べている。

     もちろん、日本に習って自分たちの近代化を進めようと努力した人々もいたが、やはり朝鮮の伝統的な事大主義、すなわち「寄らば大樹の陰」という心情が一般大衆の中に根づいていなければ、ここまでの熱烈な大衆運動は起こりえなかっただろう。

     併合期間中に、日本政府は朝鮮半島に近代化のための膨大な資本投下を行い、30余年間で農業生産も人口も2倍以上に増加するという高度成長を実現した。

    しかし、その平和と繁栄も、日本の敗戦によって終止符が打たれる。

    続く

    • 0
古トピの為これ以上コメントできません

新しいトークテーマを作ろう

子育てや家事、旦那に関する悩み相談、
TV、芸能人に関する雑談など何でもOK!

トピックランキング

もっと見る

コミュニティカテゴリ