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>>5884続き
■3.日本を清国と戦わせて独立を宣言
1889年、「東学党の乱」と呼ばれる農民一揆が起こり、1894年には数万人規模となった農民軍が一地方を占拠した。
朝鮮政府は、東学党鎮圧のための出兵を清国政府に要請した。
清国は2隻の軍艦を仁川に派遣し、2千8百人の兵を上陸させた。
これに対抗して、日本は公使館と居留邦人保護という名目で約6千人を派兵した。
10年前の乱の際に、日本は清国と「天津条約」を結び、どちらかが朝鮮に派兵した際には、通告すると約束していたのである。
石平氏は、こう語る。
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近代朝鮮が自立した独立国家として、南下する大陸国家との緩衝地帯になってくれず、清国の大軍を半島に招き入れて植民地支配を受け入れたことが、日本の安全保障に重大な脅威を与えていた以上、日本はもはや戦わざるを得なかった。
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7月23日、大鳥公使は、清国から送還されて謹慎中だった大院君を擁立し、その命を受ける形で、日本軍は王宮を占拠し、親清派の閔氏勢力を一掃した。
ここに日清戦争が始まったのである。
機を見るに敏な高宗は、1895年1月、まだ日本軍が清国と戦っている最中にも関わらず、世子や王族・各大臣を引き連れて、清国との宗族関係を破棄したとする独立誓告文を宗廟に奉告し、全国に宣布した。
戦い続けている日本と清国こそ、いい面の皮である。
日清戦争に勝利した日本は、清国と日清講和条約(下関条約)を結ぶが、その第一条は「清国は朝鮮国が完全無欠なる独立自主の国であることを確認し、独立自主を損害するような朝鮮国から清国に対する貢・献上・典礼等は永遠に廃止する」となっている。
まさに朝鮮は、日本の力によって、「自主独立」の地位を得たのである。
続く- 0
16/07/15 22:23:08