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>>5883続き
閔妃は宮殿から逃げ出したが、高宗に密書を送って、起死回生の秘策を授ける。
それは密使を清国に送って、軍勢を派遣して貰うよう依頼することだった。
それに応えて、清は3千人を朝鮮半島に送り込み、反乱を起こした韓国軍兵士たちを鎮圧した。
これを機に、清国は3千人の軍勢をそのまま半島に駐留させ、朝鮮を完全な属国とした。
大院君は捕らえられ、清国に拉致された。
この状況に反発したのが、金玉均(きんぎょくきん)率いる若手官僚グループであった。
金玉均は日本とのパイプを持ち、漢城(現在のソウル)に駐留していた日本軍の力を借りて、閔氏一族を一掃し、高宗を担いで政権を掌握しようとした。
当時、多数の邦人を殺された日本は、邦人保護のために、朝鮮政府の許可を得て、数百人規模の兵力を漢城に置いていたのである。
金玉均が、日本の明治維新をお手本として朝鮮の近代化を目指し、日・中・朝鮮の3国の同盟でアジアの衰運を挽回すべきという「三和主義」は、福沢諭吉など日本の朝野の支持を集めていた。
金玉均ら50名は日本軍150名とともに、1884年にクーデターを起こし、一時は新政府樹立を宣言したが、清国軍1500人と朝鮮政府軍の反撃で、衆寡敵せず、わずか3日で鎮圧された。
金玉均は日本公使・竹添進一郎とともに海路日本に脱出したが、約30人の日本人が殺害され、さらに多くの朝鮮人が処刑された。
続く- 0
16/07/15 22:11:37