35歳の野原しんのすけは還暦のひろし・みさえと「近居」するのか

  • ニュース全般
  • ラッコ
  • 18/03/21 14:55:56

3/20(火) 11:00配信

 いま、東京をはじめ大都市圏で急速かつ静かに、ある「家族のかたち」が広がっている。親の世帯と子の世帯が、都会ですぐ近所に別居する「近居」だ。

 なぜいま、この「近居」が注目されているのか? 1988年生まれの政治学研究者・佐藤信氏が、のっぴきならない現代の家族事情を解き明かす。

実に合理的

 30歳にもなると、周囲には結婚するのみならず、子どもを持つ友人が少なくない。もっとも、あくまで「少なくない」程度で、2人以上子どもがいるというカップルは少ないのが少子化日本の姿であろう。

 しかし、いくら子ども1人でも共働き家庭が多数派の現在では、親世代のように家庭内ですべての面倒をみることができるわけはない。そこで日々ニュースが伝える待機児童問題がヌッと現れることなる。

 3月は悲喜交交の声がこだまする季節だ。なかには保育園に落選しつづけ、泣く泣く仕事をさらに休む例も聞かれる。そんな過酷な環境のなかで、新米ママパパが頼るのが彼女/彼らの親に他ならない。

 とりわけ子育て経験者の母親は強い味方だ。育休中、1人家に籠もって不安と闘うより、2人で取り組めばいかに気分が楽であることか。見守ってくれる人がいなくては、職場復帰もままならない。

 地方の実家から、また外国人の友人のなかには海外から母親を呼び寄せる例もある。子育て世代への安心が提供されない現代日本にあって家族の存在はますます重要になってきている。

 そんななか、ここ数年注目されているのが「近居」という住まい方だ。

 子どもが病気のたびに遠方の親を何度も呼び寄せたり、もしくは親の元に送ったりというのは、交通費も含めあまりに負担が大きい。家事もできない旧時代のジイサンが実家に一人置き去りにされるという問題も生じる。

 それならば初めから親の応援を頼りやすい距離に自宅を構えようという、いたって合理的な選択である。

いつしかドラマでも「前提」に

 データによれば40代以下の夫婦では子どもがいると、世帯主の母親との同居・近居が多い。現代日本では世帯主は多くの場合夫であるから、妻の母親との同居・近居も含めれば、子育てカップルの親世代との同居・近居はさらに重要になっていると考えられる。

 子どものために近くに引っ越すのか、近くに親がいてサポートが得やすいから子どもを産みやすいのか、おそらくその両方だろう。

 こうした近居は同時に、将来の親の介護を想定したものでもある。

 親の怪我のために遠方の親を尋ねるのは面倒だし、孤独死などということになってはまして困りものであろう。そんなわけで、親の近くに居を構えたり、親に自宅近くに住んでもらったりするわけである。

 厚生労働省とタイアップするなど、なにかと話題の今期のフジテレビドラマ『隣の家族は青く見える』でも、深田恭子と松山ケンイチ演じる妊活に悩むカップルのもとに、孫の顔を見たい高畑淳子演じる夫の母がたびたび現れるシーンが印象的だ。

 核家族における嫁姑問題というテーマは、何度もリメイクされている橋田壽賀子脚本のドラマ『となりの芝生』も意識されているのかもしれない。

 しかし、両者が大きく違うのは、『となりの芝生』では姑の同居によって問題が生じる(同居しない限り問題は生じない)のに対して、『隣の家族』では近居が前提とされている点であろう。気づけば都会での近居は身近な存在になっている。

>>1

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180320-00054733-gendaibiz-bus_all

  • 0 いいね

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ママ達の声投稿されたコメントを掲載しています

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    • 18/03/22 02:10:23

    >>3
    強い弱いじゃない。むしろ金銭的な援助や孫の世話など大部分を任せられるからラッキー。

    • 0
    • 18/03/21 23:36:10

    >>3

    そんな中、私は主人の母と暮らしてる。
    高齢だから私は頼まない。

    • 0
    • 9
    • シロクマ
    • 18/03/21 23:13:52

    要約して。全部読みたくないさ

    • 3
    • 18/03/21 22:32:01

    長すぎて途中で読むの諦めた。

    • 3
    • 18/03/21 18:40:10

    しんのすけはイケメン科学者にひまわりは国際警察官になるんだよ…パラサイトシングルにはならないよ

    • 3
    • 18/03/21 18:28:40

    私の回りは嫁の実家近くに住んでる人ばかり。
    そんな私も実家から徒歩1分もかからない所に家を買った

    • 2
    • 5
    • シロクマ
    • 18/03/21 18:11:43

    なげぇ

    • 6
    • 18/03/21 15:03:47

    >>3
    確かに嫁側と同居や近居の人多いかも。

    てかヒロシ大学中退だって知らなかった(笑)

    • 4
    • 18/03/21 14:59:36

    今は嫁の実家近くに住むのが当たり前のようになったよね。嫁親の方が強いそんな時代。

    • 9
    • 18/03/21 14:58:42

    30年後の「クレヨンしんちゃん」

     こうした傾向は20世紀末まで続いたから、さしあたり『クレヨンしんちゃん』の野原家は「大都市移民1世」の生き方を想像するのによい例だ。

     野原しんのすけ(5)の父・ひろし(35)はサラリーマン、母・みさえ(29)は専業主婦だが、ひろしの実家は秋田、みさえの実家は熊本である。

     ひろしは上京して大学を中退、みさえは地元の女子短大を卒業して上京、東京でサラリーマンとOLとして働いていたところ出会って恋愛結婚をし、みさえはそれをキッカケに仕事を辞めた。

     学歴については諸説あるようだが、ここで重要なのは、2人が地方出身ながら都会で出会って都会に住み続けることになったということだ。

     都会とはいっても、まだ土地バブルのはじけない1990年に連載が開始した『クレヨンしんちゃん』では東京での持ち家は荷が重い。ひろしは埼玉県・春日部から満員電車で東京に通勤する生活を送る。

     今からみると持ち家があるだけでも羨ましいが、それはさておき、当時としては典型的な都会のサラリーマン家庭像である。しかし、いま想像して欲しいのはその家族の30年後の姿なのである。

     ひろしとみさえがそれぞれ65歳と59歳になるなか、しんのすけと妹・ひまわり(0)は35歳と30歳である。パラサイトシングルになっているかもしれない。結婚するとするなら、春日部の5LDK二階建ての家では同居できるかどうか、外に出ているかもしれない。

     だが、いずれの場合にせよ、2人が地方に出たり、祖父母の実家に帰ったりしている将来は想像できない。想像されるのは2世代が同じ都市圏で同居・近居している将来である。

     これらはアニメを前提にした想像に過ぎないが、現実に起こっていることでもある。

     つまり、大都市圏に定住した「大都市移民1世」の子どもたち、すなわち「大都市移民2世」は、さらに出稼ぎにいく場所もないので、親と同じ都市圏で人生を送ることになるのだ(平山洋介「近居と住宅政策の課題」、大月敏雄+住総研編著『近居』学芸出版社(2014年)所収も参照)。

     日本で二世帯住宅が流行ったのは1980年ごろからだが、これも「大都市移民2世」の定住のなかで生じた現象だ。「大都市移民1世」が地元の親世代と地理的に隔絶されていたのと比較して、「大都市移民2世」においては親と同居したり、近居したりする可能性は飛躍的に高まることになる。

     こうして都市における近居は、戦後日本における人々の流動と滞留のうねりのなかでますます重要になってきている。

     

    • 0
    • 18/03/21 14:57:31

    「上京」と「恋愛結婚」の戦後史

     だが、なぜ近居が新たな現象として注目されているのだろうか。ここでは2つの視角からみてみたい。まず、「なぜ別居ではないのか」という疑問から考えてみよう。

     そもそも親が地方を離れず、子どもが都会に出ているのなら、近居という選択肢は生まれない。近居が普及した背景には戦後日本の人口移動があると考えられる。

     都市と地方の風土のちがいというのは、当たり前すぎるほど当たり前なのだけれど、そのくせ戦後日本社会などというと、なぜか均一な印象が前提とされてしまうのは不思議なことだ。そこで初めにどれだけ戦後日本社会において都市と地方の差が大きな影響を持っていたのか、結婚を例にみてみたいと思う。

     社会学の専門書から、インターネットの記事まで、「日本では1960年代から70年代にかけて見合い結婚から恋愛結婚への変化が生じた」と書いてある。グラフをみると確かに急激な変化である。

     ところが、データを再検討して、市街地と農村・漁村でそれぞれどうだったかを調べてみると、まったく違う様子が見えてくる。それが以下の図である。

     これをみると一目瞭然。市街地ではとっくの昔、1950年代後半にはすでに恋愛結婚の方が一般的になっているのである(実は「恋愛」とか「見合い」とかが具体的に何を指しているのかという別の問題もあるのだが、それはまた別の機会に譲ろう)。

     60年代から70年代にかけて見合い結婚から恋愛結婚へという急激な変化が生じたのは、地方に都会の恋愛結婚の文化が波及したからであり、また地方の人口が大量に都市に流入したからなのである。

     こうしてみると、戦後日本における都市と地方という問題がいかに重要かがわかってくるだろう。

     戦後、集団就職、さらには大学進学率の上昇などで、地方から多くの若者たちが大都市圏に惹きつけられた。彼/彼女たちの中には地元に帰るものも少なくなかったが、都会に留まったものも多かった。「大都市移民1世」とでもいおうか。

     彼/彼女たちは結婚して、郊外の新興住宅地に戸建てや団地の家を購入したりして、地元の親とは別居して生活することになった。
    >>2

    • 0
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