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      18/10/16 19:52:33

     『他人を非難してばかりいる人たち バッシング・いじめ・ネット私刑』(岩波 明/幻冬舎)

     ネットバッシングをするネット住民たちの多くは一見「正義派」を装っているが、目的は他人を徹底的に糾弾し、傷つけ、ひねりつぶすことにあるという。そうだとすると、なぜ、「バッシングすること自体を自己目的化したバッシング」が横行しているのだろうか。

     昨今の「クレーマー」は、“普通の人”や“善人”が豹変する特徴があるといわれる。なぜか。内面的には「他人を許せない」「非難せずにはいられない」という不寛容な日本人が増えてきているからだ。

     また、日本人には「差異に敏感」だという特性がある。たとえば、多様な民族や宗教的背景を内部に持つアメリカに比べると、同質集団である日本には大きな「安心感」があるが、バックボーンや価値観が似たようなものになりやすいため、すこしの異質でも排除しようとする働きが起きるのだ。
    「アイツはどこか浮いている」「同期で能力はたいして差がないはずなのに、アイツだけ出世した」など、学校や職場で生じる「妬み」や「憎悪」が「イジメ」や「ハラスメント」に発展しやすいのも、この日本人的特性と深く結びついている、と分析している。

     このような要因が複雑に絡み合い、「ルサンチマン(常日頃から感じている悔しい思いやねたみの気持ち)」を抱えやすい日本人は、攻撃できるはけ口を見つけると、ボルテージが一気に増幅。日常は抑えている攻撃的な衝動があらわになる、というわけである。

     バッシングをすることによって、物質的な利益を得られるわけではない。むしろ、相当の時間とエネルギーを消費してしまう。非合理的な行動なのだ。本書によると、そもそも人の行動の多くは、合理性よりも「快、不快」あるいは「好き、嫌い」の感情で左右されるものだという。攻撃的で不寛容な人たちは、自らの感情に忠実な人たちという側面も併せ持つ。

     閉ざされた狭い島国において、似たような顔をしたものどうしがお互いを監視しつつ、ほんのすこしの差異のために競い合い、憎みそねみ合っている。私たち日本人は、こういった状況を世界的にみて特別だと気づくこと、特殊だと認めることから始めるべきではないか、と投げかけている。

    文=ルートつつみ

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